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砂は何粒ある?

2018/07/06

世の中は自分で考えるということを
しない方向にドンドン動いているように思います。

自分で考える前に教えてもらう。
考えるというプロセスよりも、答えがわかっているというゴールの方が
重視され、プロセスに時間をかけた人よりも、できるだけ速く答えにたどり着いた人を
賢いとする間違った常識の中で育った子供たちは
大人になって、『考える』ことが何よりも大切な世代になったときに
自分で考えるクセを無くしてしまっています。

でも、大切にしなければならないことは
自分で考えるということ。
それは、そういう『性格の大人になる』といってもいい。

 

考えるクセを無くすと、答えが出ないことにモヤモヤして
プロセスはいいから、答えを教えて…と思うようになります。

考えるクセがある人は、正しい答えが何かよりも
そこにいたるまでのプロセスを考えているときが一番楽しい。
だから考えるのです。

 

例えば、僕の愛犬があなたにこう聞いたとします。

「ねえ、この世界には砂は何粒あるの?」

物事を考えるクセがない人は、知ってる、知らないでまず判断しようとします。
だから
「知らない」
「わかるはずがない」
という反応になる。

知らないのが嫌だと思ったら、検索してみたり、Siriに聞いたり…
とすぐに答えを知りたがる。

でも、考えるクセがある人は
「お、その質問面白い…」
となって、自分で考え始める。
誰かがはじき出した答えを調べるのではなく、自分で考えて答えを出してみる。
そのプロセスを楽しむ。
そんな人にとっては、答えを先に聞くことほどつまらないことはない。

まずは 1㎤の入れ物に砂が何粒入るかを予想する。
一列に100粒並べたら1cmになるとしたら、1㎤には1000000粒あることになる。

 

次に地球の周囲は40000kmなので半径はそれを円周率で割って
半径がわかったら、地球の表面積を計算する。

他にも、地表の何%程を砂が覆っているか
平均でどれくらいの深さがあると考えるか

と一つ一つ考えていく。
そうすると、自分なりの答えにたどり着く。

そこからも何か見落としている条件がないかを考えて
自分の出した答えをその都度修正する。

もちろん、こんな問題出された瞬間に

「わかるはずないじゃん」
「知ってどうするの?」

と反応することもできるのだが、それをあえて『考えてみたら面白そう』
と思えるとしたら、やはり考えるのが楽しいと思っている人だけだろう。
考えていくプロセスが、その時間が楽しいと思える人しか、やってみようと思えない。

「ヘイ、Siri」「OK,グーグル」
とAIに聞けば
あらゆる情報にアクセスして、答えを教えてくれる時代。
そんな環境に慣れてしまったら、自分で考える楽しさをすべて奪われてしまう。

そして、僕たちが無くしつつある
自分で考える力こそが
僕たちが生きていく上で
一番無くしてはいけない能力だろう。

答えをたくさん知っていることが賢さではない。