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Interview 04 西田英樹さん

2017/09/15

今日はよろしくお願い致します。まずは、西田さんご自身についてお聞かせください。
西田さんはどうしてこのお仕事をしようと思ったんですか?

 

大学は福祉科で勉強したんですけど、僕にはちょっとむいてないかなと思ったりしていて、就職活動もほとんどせず、アルバイトばっかりやっていたんです。友人たちみんなが卒業していく中で、結局大学の近くでアルバイトを続けていたんですよ。

そしたら、当時、老人ホームの調理の仕事をしていた母親が心配したのか、その伝で、ある別の老人ホームから「福祉の大学出てるんだったら…」ということで就職の面接をしてもらうことになったんです。結局それで、最初は老人ホームに就職しました。

ところが、職員間の人間関係で上手くいかないことがいろいろあって、やめてしまったんですね。僕にとっては人生初の挫折だったと今は思います。

その後、当時の知り合いが徳島県の、当時「教護院」と言ってましたけど、徳島学院で男性職員の欠員で臨時職としての募集があるようだと教えてくれて、話を聞くだけでもいいからと思って行ってみたんです。

正直最初は「非行!?」「不良!?」って怖いもの見たさのような興味半分と「絡まれたり、常に修羅場みたいなところなのかな」って不安もあったんです。

実際に行ってみて驚きました。次から次に「こんにちは!」って大きな声で挨拶をしてくれたんです。第一印象は「なんていいところなんだろう」でした。老人ホームでの挫折感もあり、心の中がスカッと晴れたような気分になりました。今でも忘れられない経験でした。

結果的に「住み込みで来てくれるなら」ということで、臨時職員として採用していただくことになりました。それが最初のきっかです。

 

そこは、ここと同じようにご夫婦で寮を運営して、一緒に生活するような学校だったんですか?

 

そこは「今日は僕が泊まりで、明日は誰で…」という感じで職員の勤務ローテーションを組む、いわゆる「交代制勤務」の施設でした。私は一人暮らしをしていたこともあり、休みの日でも夕食を食べに寮に遊びに行ったりクラブの練習に行っていました。

子どもと一緒に作業(草刈りや畑作業など)をしたり、走ったり、野球したりと、一緒に身体を動かすことも楽しかったし、「先生、先生」って子どもが来てくれるのも嬉しかったです。

夜や休みの日には将棋したりね、仕事なんですけどそれまで思っていた「仕事」という感覚はなかったです。とにかくそこで生活するのが楽しかったんです。今思うと、当時の僕なんかは、子どもたちにしてみれば扱いやすかったんやと思うんですけどね。若い学生みたいな職員が一人で見ているだけの時も多かったですから。他の職員さんに陰でいろいろ支えてもらっていたと思います。

そこで出会ったあるベテランの先生に

「本当にこの仕事をやりたいんだったら、国立の武蔵野学院(職員養成所)というのが埼玉県にあるから、そこで、勉強してきたら?」と教えてもらったんです。

試験を受けたら、運よく合格できて、そちらで1年間お世話になることにしました。そして今の施設で就職させてもらいました。

 

そうなんですね。それにしても、児童自立支援敷地内の『寮』で、ご夫婦で、というよりもご家族で(西田さんにも息子さんと娘さんがいらっしゃいますが)、入所してくる子どもたちと共同生活をするんですもんね。なかなか勇気がいることだと思いますが。

 

昔は、全国どこでも、すべて夫婦制やったんですけど、やっぱりなかなかなり手がいなくて、最近は夫婦ではなく、交代制勤務で運営する施設が多くなっています。今の施設に就職した当時、絶対に夫婦でやりたいという気持ちは、正直それほど強くはなかったですが、この施設はこれから先も夫婦で子どもをみるこのシステムを守っていこうという明確な方針があります。いつしか僕も先輩夫婦のように寮舎を担当することにあこがれるようになり、いつか自分もチャンスがあるなら夫婦でやってみたいと思うようになりました。

僕が出会った先輩方は、とにかく楽しそうにされていたんです。怒ったらめちゃめちゃ怖い先生なのに、子どもたちはその先生のことが大好きで、寮のことが大好きっていうのが伝わってくるんです。

 

実際に施設内の生活や子どもたちの雰囲気、その中で先輩たちが楽しそうに生活している様子を見たことがある西田さんは、そういった生活に興味を持つようになったというのはわかりますが、西田さんの奥様は大丈夫だったんですか?

 

それこそ、見たことがない人にとっては、想像するしかないし、想像すると先ほど西田さんがおっしゃったように、「非行?」「不良?」とか「毎日修羅場?」といったイメージになってしまうんじゃないかと…

 

大丈夫というか、就職した当時、このままつきあっていくんやったら結婚も意識する年齢だったのですが…。結婚したら、夫婦で一緒に寮を担当する可能性があるので、そこも含めてどう?って聞いたような気がします…プロポーズじゃないですけど。

もちろん寮舎を担当するために結婚したわけではありませんよ(笑)。
彼女にしてみると、嫌も何も経験したことがないので、わからなかったと思うんです。

「西田くんがやるんだったら」

という感じで結果的についてきてくれました。

結婚してから、保育士の資格(採用試験の受験資格)を取るために講習会に行ったりピアノの練習をしたりしてくれました。

 

やってみたら「こんな生活だとは思わなかった…」という風にはならなかったんですか?

 

やっぱり特に最初の1,2年は、予想外というか、どう理解したらいいんだろう…という感じだったと思いますよ。まじめに生きて来た人なので、非行に走る子どもの気持ちがわからないってことで苦しんでたと思います。どんなに一緒に生活して話をしたり約束していても簡単に裏切るし、平気でウソをつかれるということも続きましたから。

夜中に寮を抜け出す「無断外出」をする子がいたんです。自宅まで結構な距離があるんですが、いろんな手段で夜中にコッソリ自宅に戻って寝ていたり、着替えて友達の所に行ったり、結局それでまた悪さをするんです。保護者さんから連絡をもらって迎えに行くと(普段はニコニコして反抗するようなところはなかった子が)悪態ついたり一瞬のスキをねらって目の前でダッシュをしたりもされました。必死の思いで連れて帰ったその子と一緒に隣で寝ていたときも、夜中に僕が目を覚ましたら逃げられていたこともあります。全く気付かず眠り込んでいたんです。こんなことが何度か続き、僕も自信をなくしました。全く想定外でした。

でも、この話ちょっとしたドラマがあるんです。

隣で寝ていても全く効果がなかったので、2時間おきに僕と奥さんとで交代に朝まで起きていようということになりました。そんな生活を1週間ぐらいしていたと思うんですが、その子の日記に「先生たち、すっと寝ていないですよね。もう逃げないので寝てください」と書いていました。正直なところ、これは油断させる作戦じゃないかという思いと信じたい思いで試されているような感覚になったことを今でも鮮明に覚えています。

夫婦で相談した結果、信じてみようとなりました。

僕は翌朝までぐっすりでした。でも目が覚めると、彼はちゃんと隣で寝ていました。

それ以降、約束を守ってくれました。

当時は、わが子も1歳ちょっとの頃だったので、夫婦共に大変な時期で、思い出すだけでぞっとするんですが、あの1年があったからこそ今があると思える経験をさせてもらいました。

ちなみに、その彼、今では東京と大阪に支社を持つ立派な会社の社長になっています。働きたい子がいたら面倒みますよと連絡をくれるんですよ。

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