Now loading...

Interview 05 中野敏治さん

2017/10/20

 

家に帰ったときに、家族がいる空気といない空気ってわかりますよね。
あのときは、帰ってきて

「いやぁ、今日は誰かいて欲しかったなぁ」と思ってたんでしょうね。

だからベッドじゃなくって、押し入れの中に入ってね。

 

何で押し入れだったんですかね。

 

いっぱいお布団があったから、くるまりたかったんでしょうね。
今思えば、誰かに抱きしめて欲しかったということなのかもしれません。
もしかしたら、そういうことが、今の子どもたちにもあるかも知れないですね。

 

今は、それこそ共働きだったり、子どもたちだって、すごく小さい頃から、家に帰ってきたら誰もいない環境で育っている子がたくさんいるでしょうからね。

 

これからもっと多くなるかもしれませんね。働きやすくなる社会ということはいいことなんでしょうけれども、その反面、子どもたちがどうなるのかっていうことは常に考えておく必要がありますね。働きやすくなった分、それによって子どもが孤立しない環境を作る必要があると思います。

 

−− 働くという話が出ましたので、先生という仕事についてうかがいたいのですが。

どの仕事も同じでしょうが、この仕事は真面目な先生ほど、本当に時間がないですよね。

家に帰ってから授業準備も含めて、子どもの解いた問題の○付けやら、ひとり一人にコメントを書いたり…もう時間がいくらあっても足りない。

中学校や高校の先生となると、それだけじゃなく、部活動の指導もしなければならない。

本当にやりたいことを全部やっていたら、時間がどれだけ合っても足りない、そんなお仕事かと思いますが、働き方が変わることで、そういった勤務形態もこれから変わっていくことになるのかもしれません。

そんな中で、今、これから先生になりたい人や、もしくは、先生になってまだ数年かしか経っていない先生に対して伝えたいことはありますか?

 

去年かな、これから教師になりたいっていう学生を対象に大学で講義をさせてもらったんです。その最後に、大学の先生が私に、

「中野先生は、どういう学生がいい教師になれると思いますか?」

と質問されたんですね。
おそらくその大学の先生は、

「子どもが好き」とか「研究熱心」という答えを期待して聞いたと思うんですね。でも、私が言ったのは、

「印刷室のコピー用紙が乱れていたら、それを黙って直せるとか、廊下に落ちたゴミを拾えるとか、当たり前のことだけれども脱いだ履き物をそろえられるとか、そういうことが自然とできる学生が、いい教師になれますよ」

って話をしたんですね。

それは、教師じゃなくても、どのお仕事もそうなですけれども、「How to」で教師になったら厳しいと思うんですね。教師という仕事の中で人間として学び続けることが何よりも大事です。

だから、小さなことでも人間的に成長しようとする人が、いい先生になれると思っています。

それは、教育実習に来ている学生さんにも伝えますし、私は『あしがら教師塾』というのもやっているんですけど、そこに来る若い先生にも伝えています。

「教師」という仕事も60歳で終わってしまいます。教師生活は40年近くありますが、長いようで、実際には人生は更にその倍近くあるわけです、教師という仕事を選んだ人は、教師である期間は、子どもたちから様々なことを学んで人間的に成長する期間だと思いますね。

例えば私が教師ではなく違う仕事に就いたら、その違う仕事で人としてどうあるべきかを学ぶ場がそこに与えられている。私は教師を選んだから、教師という立場で人としてどう生きていくかを学ぶ場が私に与えられた。

そうやって考えています。

教師にならなかったとしても同じですね。いろいろな職種はありますけれども、それぞれが自分の仕事を通じて、自分づくりというか人間学びをしていくのが日本の社会で必要なのかなって気がしますね。そのことを若い先生には伝えたいですね。

 

−− 今のお話で思い出しましたが、中野先生の書かれた本(『熱血先生が号泣した!学校で生まれた”ココロの架け橋”』(ごま書房新社))を拝読して、一貫して感じたことが、「僕もそうありたい」と思っていたことと本当に同じだったんですね。

それが今おっしゃったように、

「僕らが今考えていることは全部子どもが教えてくれたこと」

という考え方なんですよね。

自分にこういうことを教えてくれた子どもたちに感謝をしたいっていう思いだったり、自分を先生にしてくれたのは子どもたちだとか、ここまでこういうことがわかるようになったのは全部子どもたちのおかげなんだというスタンスが、すごく強く印象に残ったんですね。

僕も若い頃からずっとそうありたいという思いで授業をしてきました。でも、先生になりたい人が最初からそう考えることって、すごく少ない気がするんです。

学生さんに「どうして先生になりたいの」って聞いたら、

「子どもが好きだから」

「中学校の時の担任の先生がすごく面白い先生で自分はそれでこの教科が好きになったから、自分もそれを教えてあげたい」

とか、つまり『与える側になりたい』という思いで入ってくる人がすごく多いじゃないですか。まあ、塾の方がもしかしたらそれが顕著かも知れないですね。ノウハウみたいなものを受験期に教えてもらって、それで僕は合格できたので助かったと、だから自分もそれを伝えて、助けてあげたい…じゃないですけど、教えてあげて勉強できるようにしてあげたいとか、そういう人が多いんです。でも、いざこの世界に入って、20年、30年とやっていく中で、先生にとって一番大事な資質というのは、今、先生がおっしゃったように、生徒が全部教えてくれるんだっていう、そういう感覚なのかと僕は思っているんですね。

 

私もそうですね。

 

それを、例えば現場で先生方に伝えていらっしゃるのかな…というのは読んで感じていたんですけれども…

 

子どもがいて私たちは教師でいられるし、子どもと出会って人として成長できるし…一人で無人島にいたら何も成長できないですからね。
教師と子どもって何の損得もなくつきあっているんですね。利害関係 0 なんですよね。
だから、夜中12時、1時になってでも、明日これをしてあげたい、と思ったら準備してしまうんですよね…

あるときも、卒業式にどうしてもオルゴールで学校の校歌を流してあげたいって思ったときがあって、二晩くらい徹夜して、学校の校歌をオルゴール音で作ったことがありました。こういうお金になるわけではない、でもやってあげたいという思いが、子どもから私に対してあって、私から子どもに対してもあって、そのつながりがあの本を作ってくれたのかなって思いますね。

 

子どもたちからもあるんですか?

 

ある年に、子どもたちが卒業式間際に近くの公民館に入ってカーテンを閉め切って、いつも集まっていることがあったんです。近所の人が何だろうと思って学校に連絡が来て、実はそれは模造紙八枚くらいかな、それで私の似顔絵を描いてくれたんですね。で卒業式の時に体育館の上からバサッと落としてくれた。それを子どもたちが自分の大切な時間を使って集まってやってくれたんですね。子どもたちも損得とか、お金になるわけじゃないんだけれどもしてあげたいという気持ちがあったんですね。…30歳,40歳になる子どもたちともいまだにつきあいがあるっていうのは、そういうことがあったからかもしれないですね。

 

−− そういう経験が何度も積み重なって行く中で、先生という仕事の素晴らしさというか、醍醐味のようなものは感じられていくものだと思うんですけど、1~3年目くらいの若い先生方の中には、なかなかそういう経験を子どもたちと共有できずに、

「果たして自分は先生に向いているんだろうか」

と悩んでいる方も多いみたいなんですね。

無償の「やってあげたい」という思いをお互いに積み重ねていくことで、徐々に、「向いているのかどうか」を考えなくなっていくということなんですかね。

 

教師という仕事は辛いことの方が多いですからね。8割9割はたぶん辛いことかもしれませんね。残りの1割、2割の中にああいうドラマが起きているんですね。でもその1割2割が、私の心の中を占めてくれるんですね。

なかなか授業が上手く行かないとか、子ども同士にいじめがあるとか、ケンカしちゃうとか、何か問題起こしちゃうとか…私が学級担任やっているときにも多くありましたけど、そういった子どもたちが、ああいうドラマを作ってくれる。

8割9割が辛いかも知れないけど、辛いのは心の持ち方でどうにでもなります。
思春期ですからね、いろいろあります。でも、きっと子どもたちはいい子なんだよという確信はありますね。

 

−− 例えばそういう悩みを抱えた若い先生が実際に中野先生のところに、

「自分は向いてないんじゃないでしょうか」

と相談に来られた場合はどのような話をされますか?
もちろんケースバイケースではあるでしょうが…

 

もしかしたら、向いていないのかもしれないですけど、でも教師になったからには、子どもとの関わりをもうちょっと持って、その判断をしてもいいのかなという思いもありますね。

たぶんね、若い先生は心にゆとりがなくて、「でもやらなくちゃいけない」というのがあると思うんです。確かに子どもの中には日々問題行動を起こす子もいるけれども、子どもってそうせざるを得ない何かがあるものなんですね。それを常に先生が気持ちの中に持って子どもに接すると非常に楽だよって、よく言うんですね。

朝、学校に来て妙に荒れてる子がたら、それだけ見ると、その子が悪いことしているように見えるけれども、もしかしたらこの子、朝お母さんとケンカしてきたのかなとか、宿題忘れた子がいるとしたら、注意しなければならないんだけれども、でももしかしたら、昨日お母さんの看病してたとか、そうせざるを得ない何かがあるのか、そうじゃなくても、それができなかったその生徒なりの理由が必ずある…と思うと、ゆとりが持てると思うんですね。

 

なるほど、見えない部分を見ようとするということですね。

 

それは楽になりますよね。だから、目の前の出来事だけでジャッジしてしまうんじゃなくて、いけないことをやっていたにしても、何か理由があるんだろうね。そうせざるを得ないからそうしたんだろうねって。一度見てあげることで、先生として視野が広くなるんじゃないかな。

大人もそうですよね。何か今日なんか様子が違うけど、きっとそうせざるを得ない何かがあったんだろうなと、そう思うと人間関係は楽ですね。

 

−− 僕が若い先生たちによく言うのは、川の流れの一番下流に立って、ゴミを拾うのに精一杯になっても、なかなか川そのものはきれいにならない。でも、上流に行けば、どうしてゴミが流れてくるのかがわかる。だからそこまで上っていって何とかすれば流れてこなくなる。でも、川をさかのぼっていくのはすごく大変なんですよね。日々のことで精一杯になってうと、さかのぼる体力まで残っていない。

そういう今のことしかできなというのが一年目とか、二年目の状態で、それはしょうがないことかもしれませんが、そこで諦めないで、一歩でも二歩でも上流に上がろうとする。つまり、目の前で起こっている出来事の上流では、何があったんだろうと想像する。できればその前は…とさかのぼって想像する。そうすれば、また全然違った対処になるかも知れないですね。

 

人間みんなそうですもんね。

それぞれの言動って、その人の身近になんか嫌なことが起きて、それが表情に出ちゃうとか、ありますからね。私、職員の下駄箱をよく見るんです。で、朝慌ててくる人とか、来る前に何かあった人は、下駄箱の扉がちゃんと閉まっていなかったりするんです。

そうすると、声をかけたりまではしないまでも、意識して見たりしますね。

 

今の言動は、過去の何かしらの出来事にすべて影響を受けているということですね。

 

1 2 3 4