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Interview 08 常冨泰弘さん

2018/03/26

 

本日は「自分に自信をつける最高の方法」の著者、ミス・ユニバース・ジャパン・ビューティーキャンプ講師をされている、心理カウンセラー常冨泰弘さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いします。

まず、常冨さんの経歴が面白いといいますか、今はミス・ユニバース・ジャパン・ビューティーキャンプ講師などもされていますが、以前は高校で先生をやられていたんですよね?20年間くらい。

東京の私立大学で国文学を学びました。
そこは、関東圏で中学、高校の国語の先生になる人が多いんですよ。自分の場合も、東京で教員をやるか福岡で教員をやるかを考えていました。でも東京の結果を待たずに、先に福岡の私立高校から採用をいただいて。そこで教員生活をスタートしました。

そうなんですね。

ただ、もともと公立高校希望だったので、

それはどうしてですか?

私立だと、ずーっと何十年もそこでいないといけないので…やっぱり転勤があったほうがいいなと思っていたんですね。ですから、福岡で公立を受け直して公立高校の教員になりました。
それから20年。全部合計したら22年ですね。

世間的に安定していると思われている公立高校の先生をやめて、今のお仕事の世界(心理カウンセラー)に移るのは相当勇気や覚悟が必要だったと思うんですが、どうしてやめようと思われたんですか?

2001年の9月11日(同時多発テロ)が一番大きなきっかけですね。
当時、私は通信制の高校で教えていました。残業で職員室に残っていたら、用務員さんから急に「先生!今大変なことが起きたから!!テレビ見に来てください!」って言われて、慌てて見に行ったら、飛行機がビルにぶつかる映像が流れているんですよ。
それは衝撃でした。
そこから自分なりに何が起こっているのかとか、どうしてそうなったのかといった世界情勢を調べるようになって、その流れから環境問題にも興味を持つようになっていきました。

そうすると、今まで教員をやっているだけでは見えてこなかった色々なものが見え始めたんですね。そのころ環境の専門家を呼んで話をしてもらうというイベントをするNPOの団体が東京にあって、そこに出会いました。そこのやり方がすごく面白くて、参加しているうちに、福岡でもやりたいなって思うようになっていきました。
ただ、当時は教員をやりながらの活動でしたから、「教員」であるということで制限も多いですし、やりたいことが自由にはできないんですよね。

でも、普通は「だから先生を辞める」とはならないと思うんですけど。どちらかというと、その制限を受け入れるとか、教員をやりながら、やれるラインギリギリまでといいますか…そうじゃなく辞めたのはどうしてなんですか?

一番大きい理由は、22年やってきて、自分の役割というのか、自分しかできないことをやりたいと思い始めたことですね。
国語の教師として、ほとんど担任をもっていたんですけど、1、2、3年と持ち上がって、また、1、2、3年と繰り返していく。その中で教える内容はずっと変わらない…。これを続けていくことが、自分の中で本当にやりがいになるんだろうかと思い始めて。

それに、授業は好きだったんですが、事務的能力がないというか(笑)…採点とか、成績を管理するとか、そういうのがすごく苦痛でもあったんですよ。

一番好きだったのが、ロングホームルームの時間でしたね。

ロングホームルームは、他の先生が「うわぁ~何したらいいんだろう~」って悩んでいるのに、自分はもう「ネタいくらでもあるぞ!」みたいな。
ゲームみたいなことさせたりもしましたし…そういう時間は好きでしたね。現代文の授業も、けっこう自由に自分で授業をするのが好きでしたけどね。でも、外の世界も見たりしながら、そうやって授業をやっていると、本当に自分のやりたいことを今やれているのかな~?っていう疑問が出てきはじめて…3年くらい悩みましたね。

そうなんですね、その間ずっと考えられていたんですね?

そうですね、ずっと考えながら…
でも、45歳になった時に、今辞めて新しいことを始めないと、50過ぎたら辞めて新しいことに挑戦するエネルギーや熱量が出てこなくなるんじゃないかと思って辞める決心をしました。

じゃあ、その時は、今やられているようなビューティーコンテンストのキャンプの講師とか、そういうのをやるとかは決まっていなかったということですよね。

全く。

先に何をやるかはまったく決まっていない?(笑)

何かをやりたいと思って(笑)。
その時は一人暮らしをしていたので、そういう面での身軽さもありましたね。あのとき奥さんや子供がいたりしたら、辞められなかったのかなって思ったりもしますね。

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