Now loading...

Interview 11 正頭英和さん

2019/04/09

先生としてのキャリアは、最初から立命館小学校なんですか?

実は、僕はもともと中学生の先生になりたかったんですよ。バスケットも好きだったので、顧問もやってみたいっていうのがあって。

立命館の中でも「中・高」でキャリアをスタートしました。
僕としては中学がよかったんですけど「高校の担任をしてほしい」って言われたんですよ。まぁ一貫校なので仕方ないんですが。

「高校は嫌です」って言いたかったんですけども、雇ってもらう立場でそんなに偉そうなことも言えなくて・・・(笑)「分かりました。」って高校の担任をやらせてもらうことになったんですよ。

ところがやってみたら、またこれもどハマりして…もう面白くて。

僕はこの子たちを高1、高2、高3と卒業まで担当したいということしか考えられなかったくらいです。でも一年後、今度は中学校に新しい特進コースをつくるということになって、そこの一期生の担任をして欲しいって言われました。

いろいろと悩みましたが、高校は1年で終えて、かねてからの夢でもあった中学生を担任することにしました。そこから中1、中2、中3、とカリキュラムを作りながら、持ち上がって…一貫校の魅力は六年間担当できることなので、僕は、そのまま高1に持ち上がりたいって言ったんですけど、その時ちょうど「立命館小学校」ができるっていう話になったんです。

「英語ができる先生が必要だから行って欲しい」って言われて、一年だけの契約で!っていうことでした。これまた迷いましたが、もし本当に一年だけということなら、僕は、6年生から、中1に持ち上がって高校卒業するまでの七年間、子どもたちの成長を見守ることが出来るという、誰にもできないような経験が出来ることになります。これは魅力的だと思って小学校に移ることにしました。

ところが、それ以来、いろいろと事情がありまして…やはり必要とされると断り切れないと言いますか…そんなこんなで、実は8年連続6年生の担任をして今に到っています。

ず~っと6年生?

ずっと6年生です。だからずっと卒業式なんですよ。だからずっと泣いてるんですけど(笑)。

今の先生の気持ちの的には、ずっと小学校でやっていきたいなっていう気持ちなのか、今後は、中学、高校でやってみたいっていう気持ちなのか…

率直な気持ちでいうと…思春期の子達を相手にしていたいっていう想いです。

ということは、中学校?

いや、6年生も当たります。反抗期とか多感な時期に入ってきて、心がすごく揺さぶられ不安定な時期ですよね。

昨日は元気で帰っていったのに、今日朝来たら、なんかブスッとした顔で「親に死ねって言ってきた…朝」って。「なんでそんなこと言うたん?」って言ったら、ポロポロ泣き出して「ほんまに死んだらどうしよう…」とか言って泣いてる女の子もいる。

そういう、多感な時期の子に接するということで、彼らの人生の役に立ちたいんだって思います。それをこえて安定している時期やそうなる前の幼い時期ではなく…。

だから、小学校高学年から中学校の中1、中2くらいが僕は好きなんですかね。

ということは「英語」というよりは、「人」なんですかねぇ?

そうですね。…もちろん英語の授業の中で育てる、その…1時限は45分ですけど、1コマの45分の中で英語力と人間力の両方で、子ども達の心に残るメッセージをひとつでもいいから突き刺していきたいっていうのは、自分の中にはあります。

英語を教えるだけだったら、本当に、塾の先生の方がいいかもしれないし、今はYouTube上のコンテンツなんかも充実しているので、子ども達が将来社会に出ていく頃にはAIも今以上に性能がよくなって通訳だって完璧になっているかもしれないし。そういう時代を前に、やっぱり英語を教えるだけのマシーンのようにはなりたくなくて…自分にしかできないことといいますか、英語は教えるんだけども、それだけじゃなく子ども達の人生に触れるような一言っていうのを突き刺していきたいなっていうのがあります。

それを英語の授業の中で達成したい。

今のお話を伺うと、「最初は普通の先生だったのが、何かをきっかけに今の自分の目指す方向になりました!」という感じではなく、もう大学4回生の時に変わってそのまま…みたいな感じなんですかね?   

そうですね。もちろん、徐々に強くなっていった部分はありますけれども…。英語を教えるっていうことは、心の教育になるんですよね。英語だって言語ですから「言葉」を教えるっていうのは、人そのものを作ることでもあるわけです。

僕の尊敬する先輩は、

「英語ってすごくいい教科だ。なぜかと言うと、英語で授業をしていればどんなことを教えたって、例えば科学の内容であっても『英語の授業です』って言える。哲学の授業をしても『英語の授業』になる」

ってよく言っていました。お酒の席になるとそうやって笑いながら言うんです。それがすごく記憶に残っています。

そういう経験もあったので、僕は英語を通して何を教えたいんだろうって考えるようになった。そうしたら、やっぱり人としての優しさとか暖かさとかそういうものなんですよね。それを、中学生に伝えるとしたら?小学生に、英語の授業を通じて伝えるとしたら?というのを、無意識のうちに研究するようになったんだと思います。

他にも先生としての『転換点』っていうのはありますか?自分にとってのターニングポイントはここだ!っていうような。

お世辞でも何でもなく、京都で開催された喜多川先生の『親学塾』。あれに通わせていただいた、あの5回の講座っていうのは、僕にとってはすごく大きかったですし、喜多川さんの影響っていうのは、もちろんダイレクトにありますね。

『何を伝える』っていうことから『どう伝える』ってことに視点が変わりましたし。…伝えたいことは僕の中にたくさんあったんですけど、どう伝えるのかっていうのが、僕はその時やっぱり下手で。

喜多川先生が僕たちに教えてくださる言い方とか言い回しとか、表現とか、例え話っていうのが、あっ、これだ!っていうのが、本当にたくさんあったんですよ。

じゃあ、お役に立てたわけですね!(笑)

もちろんです!ありがとうございました!

本当に嘘じゃなく、あの親学塾が一つの転機になっています。

そう言っていただけると素直に嬉しいですね。それをきっかけに様々なことに挑戦をされて、いろいろな分野での活躍を始められるわけですけれども、書籍も出版されていますよね。

そうですね、3冊、4冊出させてもらっています。

出版のキッカケというのは何だったんですか?

いきなりオファーが来たんです。

突然来て…で、出版のお仕事が自分やってくるなんて夢にも思っていなかったんで。二つ返事で。メールを2秒くらいで返しました(笑)。「はい、やります」って。

それでも4冊出されているということは、オファーが来続けているからということですよね。それは本当に凄いことだと思います。そしてその活躍が…というよりは、常に新しいことに挑戦し、行動し続けた結果が今回受賞された【グローバルティーチャー賞】に繋がって行かれるわけですが、

1 2 3 4 5