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Interview 01 松葉健司さん

2017/06/10

強くなるための指導は、野球に限らないということですか。

 

はい。例えば、「野球」と「テニス」は違うとか、「バレー」と「野球」は違うとか、もっと言うと「野球」と「勉強」は違うという感覚が普通はあると思うんですけど、注意深く、ずっと観察して、動きを解析してたりすると全部一緒だということがわかったんです。

そこで僕は異種目だけでなく、学校ではない「他業種」に行ってみたらどうなるんだろうかって思ったんです。それらがすべて本質的に同じなら、部活動や体育の授業を通じて、どんな仕事にでも通用する「本質」を身につけられますから。

そこで、他業種も見学に行ったんですね。そうした結果、野球、他種目、他業種、勉強というそれぞれの枠組みはあっても、すべての枠組みに共通している本質的なことがあることがわかってきたんです。

ただ、僕は見えてはきたんですが、しかし、それを言語化と言いますか、体系化していかなければ、指導には活かせません。

 

確かに、指導者がわかっていても、それが生徒たちに伝わらなければ指導に活かせませんね。

 

そうなんです。そこで、次に考えたのがそれを、どう、体系化し、言語化して生徒たちに伝えるかということでした。
そこで僕は、よくスポーツの世界で言われる、「心・技・体」を細分化していったんです。

すると「技」と「体」については言語化していくことができたんですが、「心」って何かということを探しに行ったときに、訳がわからなくなったんです。

何故かというと、「心」には実態がないじゃないですか。だから、それを言語化して子どもたちに自分が理解しているように理解させるのは無理だということがわかったんです。

でも、ずーっと子どもたちを見てると、「心」は見えないんですけどね、「心」がどう動いているかだけはわかったんです。そして、その動きは「絶対」なんです。他の動き方をしない。

 

形はないけど、動き方は同じということですか。

 

はい。

そのあたりから「ああ、そういうことか」とわかってきました。

で、わかり始めると面白くなるじゃないですか。そうやって調べて行ったんですね。そうしたら「ああ、基本ってこういうことなんか」とか、そういうのが全部見えてきたんです。最初に自分が発していた
「何で?」という問いに対する答えが全部わかってきたんですね。
それを指導に取り入れていくと、「独自の指導」と言われるようになっていきました。

 

なるほど。
それが、甲子園に繋がっていくわけですね。

 

まだ、第一歩です。

次に、甲子園への行き方というのを考えたんです。甲子園への行き方は三つしかないんですね。21世紀枠に選ばれるか、選抜か、夏の地区予選で勝つか。

僕たちは、夏の地区予選で勝って行くことを選択したんです。そうすると、三重県で6試合戦って勝たなければならない。

「じゃあ、どうするか」ということをずっと考えました。

このときも、「心・技・体」を細かく分けて添削したんです。

そうすると、うち(公立の進学校)では数値的に(現時点では)甲子園常連の強豪校に絶対勝てないんです。じゃあ、その『絶対』をひっくり返せるとしたらどこの部分なのかということを検証したら『心』しかなかったんです。

技術や身体が日によって別人のように全く違うということはありません。違ったとしても幅の小さな変化です。でも、心というのは、日によって全く違います。自分のもてる技術と身体を十二分に使い切ることができる心の状態もあれば、その半分も発揮できない心の状態だってある。それが日によって、もっというと一球ごとに変わるのが野球というスポーツです。だから「心」の状態を鍛えてあげれば勝機はあると思ったんですね。

じゃあ、それを具体的にどう実現するかと…いうことで行き着いたのが『集中力』だったんです。

トレーニングにしても、勉強にしても、『集中』することによって能率が上がるわけです。

どこの野球部でも同じだと思うんですが。もちろんサッカー部ででも。子供たちは最初は「甲子園行きたい」「冬の選手権に行きたい」って思ってるんですが、すぐに「どうせ」とか「やっぱり」とか思い始めるんですね。そんな『心』では、もともと技術的にもフィジカル的にも優れている学校に勝てるようになるはずがない。

でも、僕らはその「心」を最後まで「もしかしたら、行けるんちがうか」という状態に持ってってあげたんです。

 

それをするためにはどうすればいいんですか

 

それをするためには「これこれこうやから、いけるやん」とか「こうだから、こうなって、勝てる要素あるやん」と示してあげることなんですね。

道が見えるとやろうとするんですね。

それを、しつこくやっていったということなんです。

 

それは、自分にはできそうだということを見せてあげるということですか。

 

できそうにないと思っていたことも、視点を変えるだけで「できる」ということを経験させてあげるということです。

例えば、落下するボールを取る*ことだって最初はできなかったですよね。でも、目線を変えるだけで一発でできるようになるんです。ということは、これも相似性なので、

「たかだかテニスボールを取ることができるようになっただけやけど、ここ(甲子園に行く)ということでもいっしょやん…一見、自分の能力では無理だと諦めそうになるけど、簡単にそれをできるようになる方法はどこかにあるということや」

ということ、「コツ」を教えていくんです。

 

*「落下するテニスボールを取るという練習」

一人が肩から水平に腕を前に伸ばし、手の甲を上に向けてテニスボールを握る。もう一人はその手の甲の上に手のひらを載せてスタンバイする。テニスボールを握っている側が、そのボールを手放すと同時に、手のひらを載せている側が、ボールが地面につく前にそれをキャッチするというもの。最初はほとんどの子ども達ができないが、松葉先生の数分の指導で誰もが一瞬でキャッチできるものに変わる。

 

実は明日、講演会があるんですが、そこでの話の依頼が「どうして、僕が指導した二校が地方大会で優勝して甲子園に出場できたのか」ということを知りたいということで、それをお話しすることになっているんです。単刀直入に結論を言えば、「その気にさせること」これなんですね。

つまり、僕は子ども達をどうやったらその気にさせることができるのかをずっと考えて、実践してきただけなんです。

先ほど、心は見えないけれども、動き方は絶対だと言いました。

それが、『知性』→『感情』→『意欲』→『知性』→・・・のサイクルなんです。

子供たちは『わかる(知性)』と『楽しく(感情)』なり『やる気が出る(意欲)』だから更に『わかる(知性)』。これは絶対のメカニズムなんですね。『わかる』→『楽しい』→『やる気が出る』→『わかる』→・・・。こうしか回らないんです。やる気が出るメカニズムはこれだけなんです。でも『わからない』と『つまらなく』なって『やる気がなくなる』。だから余計『わからなくなる』。『わからない(知性)』→『つまらない(感情)』→『やる気がなくなる(意欲)』→『わからなくなる(知性)』→・・・これも、どんどん回っていく。実は、良いことも、悪いことも回り方は同じなんです。このメカニズムを知っていれば、意欲がないときに『やる気を出せ』『頑張れ』と言っても無理やってことがわかるんです。

例えば、足し算のできない子にかけ算はできませんよね。じゃあ、かけ算ができない子はどうするかというと、手前に戻るしかない。足し算ができるようになってから、前に進まなければならない。同じことなんです。『やる気がない』子には、その部分を何とかしようとするんじゃなくて手前に戻るしかないんです。一つ前の『つまらない』を変えてあげなければ、『やる気がない』を変えることはできないんです。だからまずは『楽しい』をつくってあげる。そこで初めて、『やる気』が生まれるんで。この心の動き方が絶対だと気付いたわけです。

最初、自分が入ったばっかりのチームは、一切やる気がなかったんです。だから、選手を連れてご飯を食べに行ったんです。そこで「近頃どうや?」とか「野球頑張ってるか?」とか一切聴かないんです。もう向こうは呼ばれた時点でバリアはってますから。ただ「うまいなぁ」とかいいながら食べてるだけなんです。向こうはたぶん、待ち構えてたと思うんです。

 

何か言われるんじゃないかと…

 

ええ。でも、何も言わずにご飯だけ食べて「じゃあ、また明日な」ってそれだけなんです。で次の日にも誘って、今度は「パフェ食いに行こう」って…そういうことをやってるうちに、先ほどの負のサイクルの回り方が変わり始めるんです。一カ所『楽しい』が入ってくるんですね。そのうちに「ここや」というときに野球についての話を持ち出すと「勝ちたい」って言うようになるんです。

で、甲子園への話に戻しますと、例えば、富士山にドライブに行こうってなったときに、手段は何で、どのルートで、だいたいどれくらい時間をかけて、必要な準備物は何か…ということを考えるときには、すぐに決まるじゃないですか。

それと一緒なんですよ。僕には久居農林*はこれくらいかかった…という経験がある。だから、松阪高校の時には、僕には行き方はわかっている。しかし、強豪校はもうここまで来ていて、まっすぐなルートで上がることができる。そこに勝つためにはどうするかっていうことで考えていくんです。でも、どこまで分析しても結局は歯が立たないんですよ。

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