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Interview 10 鬼木祐輔さん

2018/08/01

W杯見ていていつも思うのは、素人目だけど、やっぱり優勝していくチームって最初から調子が良くって最後までってほとんどないよね?

ないですね。

なんかこう、いい時と悪い時と両方経験しながら最後に向かって上がっていくようなチームが優勝するイメージがあるんだけど?

そうですね、ただ、一切積み重なっている感(下から上への)がないので、今の日本サッカー界が。サッカー得意にしている国の人たちが、どういう風にサッカーを解釈してやっているのかっていうのを踏まえた上で、じゃあ、俺らどうする?みたいな活動を今後していかないと。
向こう(海外)はもうどんどん進んでいくし、それを追いかけているようだったら一生追いつかないので、そういう考えでいかなきゃいけないんですよね。
それはイタリアを始めとする海外で強く思いましたね。

サッカーの捉え方っていうのが、そもそもの人生とかも含めての捉え方っていうのが日本人と向こうの人では、宗教とか色々関わってくるからだと思いますけど、全然違うんですよね。
そういったことを一つ一つ考えていくと、サッカーを得意にしている国の人たちと日本人では全然違うなーって、日本の文化ってサッカー向いてないなみたいな(笑)。
それでもここまでやってんだから、逆にすごいのかなってちょっと思ったりもしますけど(笑)。

今回、日本代表が決勝トーナメントに行くことが決まって、その中に鬼木が直接関わっている長友という選手がいて。柴崎岳選手も彼が高校時代に関わりがあったと聞いてるけど?

ちょこっとですけどね。青森山田高校は、前職の社長と青森山田の監督が知り合いで、それで全国大会の時だけサポートしてたんですよ。年に何回か体力テストを前の会社がやっていたので、年に2回くらい青森まで車で行って測定して帰ってくるみたいな関わりと、あとは冬の全国大会とインターハイの時、全国大会の時は、サポートして、怪我人の対応だけですけど。
ただ、知ってはいますね。

それにしても巡り合わせがすごいよね。

そうですね。奇跡ですね。

すごいね、いや、ホントにその巡り合わせがすごいな~って思って。これからも、日本代表のいるところに鬼木がいるみたいな感じになるんじゃないかと思うんだけど。

まぁ、そうなる可能性はあると思うし、なったらいいですけどね。
今後、今まで関わってきた選手が将来的に代表になる可能性もありますし。

普通の人から見たら、奇跡にしか見えないこういった巡り合わせには、何かこう『始まりの合図』みたいなものがあったの?

僕、二つ目標立てたことがあって!「こうなりたいな!」っていうのが二つあったんですよ。
一つは、ウェアをサポートされる人になりたいってことでした。そう思ったら、その3ヶ月後くらいにサポートしてもらえるようになってんですよ。思ったら叶った。

二つ目は、去年の頭くらいに、柴崎岳が移籍したんですよ。スペインに。
ようやく。やっと行ったか、みたいな感じだったんですけど、行ったら全然向こうに馴染めなくてっていうのがあったじゃないですか。彼は高校時代から絶対海外行くって言っていたんですよ。でも行くとああなっちゃう。
海外に移籍した選手が活躍できるかどうかって、どうしても『言葉の壁』があるんですよね。
乾貴士選手もドイツからスペインに移籍したときに現地で7、8年指導者やっている人を通訳につけたんですよ。ただの通訳ではなく、サッカーの指導者をやっていた通訳。それができたから戦術的なことも含めて、そういうサポートを受けられたので、乾選手自身はそんなに喋れないですけど、戦術が理解できてちゃんと馴染んで一年目から活躍できたんです。それこそ「スペイン」とかはそういうのが重要なんですよ。例えば中村俊輔選手とかはスペイン語があまり得意ではなかった。だからあんなにサッカーは上手いけど、全然通用しなかったっていう世界なんですよ。

だから、通訳ができて、サッカーが分かってて、身体の使い方のことできたら、これ最強だなって思ったんですよ。そういうことを出来るようになるために言葉を勉強しようと思ったら、3ヶ月後にこの話が来たんですよ。(長友の専属コーチ)だから、なんかナポレオンヒルじゃないですけど、思考は現実化するんだなって思いました。

へ~!凄いね!それは!思ったら叶うどころか、思った以上のことになってるもんね。前の会社を辞めた時にドイツかどこかに行ったよね?

もともと前職時代は休みがなさすぎたんで、海外とか行ったことなんてなかったんですよね。
だけど、この仕事やってるんだから本場のサッカーを肌で感じたいと思って、辞めた年の春休み(2014年3月)に一人で海外行きました。

最初、スペインに行ったんですよ。向こうに知り合いがいたので。ところが、行ったらもう、英語とかも全然分からないのに、スペイン語なんてわかるわけないじゃないですか(笑)
「大丈夫か?こんなんで来ちゃって大丈夫か?なんで来ちゃったんだろう?」
って感じだったんですけど。一週間、10日くらいいたのかな?
その時にあまりにもしゃべれなくて、でも喋れたら、もっと楽しいだろうなって思って、スペイン語の勉強を始めたんですよ、一年間。
ドイツに行ったのは、次の年でしたね。だからドイツ語もちょっと勉強して、挨拶程度、注文するくらいならドイツ語でできます。
その次の年もスペインに行ったんですけどね、これは仕事で行ったんです。中学生の遠征の引率で。行ったんですけど、そのときなぜか、「自腹を切って行かなきゃだめだ、海外は!」って思ったんですよね。
だからその冬には今度は行ったことのない国に行ってみようということで自腹でイタリアに行きました。

その時明治大学のコーチをやっていたということもあり、勝手に長友選手に親近感を持っていたので、自分でチケットを買って試合を見に行きました。僕が今(その時)活動しているところの延長線上にこの舞台があるんだと思ったらちょっと泣いてしまった記憶があります。
その3ヶ月後くらいに本人から「話を聞いて見たい」と言われ、5月にまたイタリアに行き、一緒にトレーニングをして、気づいたら「来シーズン一緒にやってもらえませんか?」と言われました。

まさかそんな展開になるとは思っていないじゃないですか。そもそもなんで、僕ここにいるんだろう?この一週間、って感じじゃないですか。
それが「一緒にやってもらえないですか?」ってなって。

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