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Interview 12 白駒妃登美さん

2019/10/24

本日は、「博多の歴女」として多方面で活躍されている白駒妃登美さんにお越しいただきました。ありがとうございます。今日は宜しくお願い致します。

こちらこそ、お招きいただいて、ありがとうございます!

白駒さんとは、結構長いお付き合いですよね?

初対面はですね「読書のすすめ」(東京都江戸川区にある書店)ですよ。

そうでしたっけね。

私、店長(清水克衛さん)から「飲みに行こう」って誘われて、全く状況が読めないまま行ったんですよね。で、ちょっと早めにお店に行って、お店で色々本を見ていたら、

「あれ、この方はもしや??」って思って、「喜多川泰さんですか?」って聞いたら、

そしたら、喜多川さんは、喜多川さんで、清水店長に飲み会に誘われていて(笑)

清水店長もやりますよね~(笑)

そういう感じでしたっけ(笑)よく覚えてらっしゃいますね!

これが独身二人なら本当にキューピット役って感じですけど(笑)

ははは!既婚者同士でしたね(笑)

はい。なんかきっと、日本を愛する二人だから結びつけようって思ってくださったんだと思います。

その時からそうですが、日本の和心を伝えるという活動をずっと続けていらっしゃいますけれども、もともと日本の歴史に興味を持ったきっかけって何だったんですか?

伏線としては、小さい頃伝記をよく読んでいたとかはあるんですけど、高校生の時に、一番好きな授業が「古文」だったんですよ。特にその古文の先生が「万葉集」を愛していらっしゃって!

「万葉集」を愛している先生って珍しいですよね。

教科書にね、「万葉集」の歌が出てきたんですよ、そしたら何とですよ、一時間かけて一首しかやらないんです。何で一時間になってしまうかというと、言葉の意味とか、歌の解釈だけでじゃなく、その歌が生まれるに至る時代背景だったりとか、この歌人がこの後、こういう人生をたどったんだよ、とか、そういうことを教えてくださる授業なんですよ。

私は夢中になってその授業を受けて、和歌を表面的ではなく、本当の作者の心になるというか、作者と心が繋がるって言うのかな?そうやって理解したいって思ったんです。ところが、そのためには歴史を知らないと叶わないんだなぁということに気づいて、それで歴史を深く学びたいと思ったんですよ。

そんな経験がありつつも、私は昭和39年生まれで、いわゆる「自虐史観」という歴史観の真っ只中に育っていますから、どう思っていたかというと…

日露戦争くらいまでは、日本の歴史に誇りを持っていて(笑)

でも、そのあとは、「日本はなんてことをしでかしたんだ!!」みたいな感覚だったんですよね。

それが、大学に入って、海外旅行を経験したり、航空会社に入社して、国際線の乗務員だったので、色々な国に行って、現地の国の人々と交流を結ぶうちに、日本の歴史や文化って素晴らしいんだなって徐々に気づいていったんです。

恥ずかしながら、私たち日本人よりも、日本の歴史や文化に詳しい人が海外には沢山いらっしゃるじゃないですか。そういう方々に目を開かせてもらったという感じです。

最近「ハーバード大学での日本史の授業」っていう本を読んだんですよ。

ハーバード大学では、日本の学校で教えているような「日本=悪」と決めつけるような自虐史観ではないんですよね。それを読んで「そっち(アメリカ)の方がむしろちゃんと教えているんじゃないか!?」(笑)っていうくらい。やっぱり日本の歴史っていうのは、日本の中で、昔もそうだし、今もそうだし、正しく教えていないと言いますか、いろいろな見方がある中で、一つの方向性からしか子供たちに教えていないような気がしますよね。

そうですね~・・・

やはり歴史というのは解釈がすごく難しくて、じゃあ、その自虐史観が100%間違っていたか?っていうと、そういう側面も多少なりともあったとは思うんですよね。

でも、それだけじゃなかった。

だから「正しい、間違っている」というよりは、なんかすごく視野の狭い歴史観を植え付けられたなぁ~っていう感じですよね。

もっと多面的に。

ほら、よく、喜多川さんがね、「生きる力って視野の広さに比例する」っていう話をしてくださるでしょ。その視野の広さを養っていくことが、勉強することの大きな意味の一つだと思うんです。そういう意味では、歴史の授業って視野を広げる恰好の場だと思うんですよ。 

立場が変われば、何が正しいかっていうのも変わってくるし、そういうところから、例えば、相手の立場を慮るというか、そういう慈しみの心を育てたり、ということもできると思うので。もっともっと、うまく歴史の授業が、子供達の感性を育てていくのに使われるといいなって思いますね~。

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