Interview 12 白駒妃登美さん
2019/10/24
例えば、よく子供達がね、こんなに瞳が輝いて嬉しい!!って思う瞬間があるんですけどね!
色々な事例でそういう場面を見ることはできるんですけども、
一番わかりやすい話でいうと、例えば、ペリー来航の時ですね。
あの巨大な船を見て、怖がる人もいれば、腰抜かした人もいると思うんですけれども、
そうやって怖がったり、驚いただけじゃなくって、日本人ってバイタリティがあったでしょ。
黒船に興味津々、人々が群がってくるんですね。
すると、その人たち相手に商売しちゃうような商人もいたり、
黒船に勇気を持って漕ぎ出して行って、物々交換を願い出るような人がいたり、
あるいは、この船に乗って、海外の文明を見てみたいなって思う人がいたり、
この船を手に入れて商売したいって思う人がいたり…
中には、「同じ人間が造ったのだから、この船を自分たちでも造れる!」って、そう思って造った人たちがいたわけですよね。
実際にペリー来航から数年後には、薩摩藩ですね、それから佐賀藩と、四国の伊予・宇和島藩が、純国産の蒸気船を造っているわけですよね。
徳川幕府は、ペリーがやってきて、港を開いて、
外国と付き合いを始めて、外国人を雇って、手取り足取りなんでも教えてもらうんですけど、
幕府が他藩にはそれを禁じましたから、この3つの藩では、本当に日本人の手で蒸気船を造ったわけですよ!
これって、すごいことだなって思うんですよね!
結局、鎖国している当時から、オランダ語の書物は手に入れられた。
だから、どの藩もオランダ語の達人を招いて、技術書や設計図を翻訳させるじゃないですか。
で、伊予・宇和島藩が笑っちゃうのは、後の大村益次郎、当時は、村田蔵六と呼ばれていた医者ですよ、蘭方医ね。
当時の日本で屈指の蘭方医に対して、「お前はオランダ語の達人なんだから、訳せるだろう!」って、ここまでは分かるじゃないですか?
でも、「オランダ語の達人なんだから、これを訳して、黒船造れるだろう!」って言って、医者に船を造らせるわけですよ!
で、肝心な蒸気機関は、提灯張りの職人に委ねるんです。
当日の下級武士は、貧しくて、傘張りの内職をよくしていたらしんですけど、ピーンとした竹に紙を張っていくのも難しいのに、提灯は蛇腹ですから、彼らにとって提灯張りの職人っていうのは、まるで魔法使いのように見えたんでしょうね。
「お前は、器用だから蒸気機関を造れるはずだ」ってね。
この無茶振りに応えて、彼は見事に蒸気機関を造ってしまうんです。
「私たちは今、『これがないからできない』『あれがないからできない』って出来ないものばっかり見て、それを理由にして、『やれない、やれない』って言うけれど…
私たちもこの、嘉蔵っていう提灯張りの職人さんと同じ日本人なんだよね」って言うんですよね。
「だったら、あるものを工夫して、本当は何でもできるんじゃない?」って。
そうすると、すごいんですよ!子どたちの目が輝いて!!
いやぁ、貴重なお話をありがとうございました。それでは最後に、今後、白駒さんが講演ですとか、活動を通じてやっていきたいってことはどういうことはなんですか?
私の場合は、九年前に自分が死んでいたはずだ…っていうのがあるので、あまり自分から、「あれしたい、これしたい」っていうのがないんですね。
本当に今はただ、「こういうのをして欲しい」って言っていただけたことに対して、快くお引き受けして、全力でそれをやっていくというだけなんですけど。
面白いんですね!
自分で考えるよりもよっぽど、「え!!」って(笑)
「そんなことも、え!!私に言ってくる!?」みたいなことが多くやってくるんですよね。
でも、さっきの提灯張りの嘉蔵じゃないですけど、
無茶振りに応えていくと、自分の中に眠っていた可能性が花開いていくのがわかるんですよね。
だから私、「自分でこうしたい!」ということがないっていうところが、自分の可能性の源じゃないかなって思っています(笑)
あ~!そうかもしれないですね!
だから、楽しみなんです!自分自身が!
どんな風なことが巡ってくるのかな、これから!っていう感じですね!
分かりました。貴重なお時間をありがとうございました!!どのようなことが巡ってくるのか、僕も楽しみにしておりますので(笑)
ありがとうございます(笑)!
喜多川さんも、割とそういう人生じゃないですか(笑)
僕?そうです(笑)!基本そうです(笑)
なんかもう~素敵~、喜多川さんの生き方、本当に~!
同じような感じなんだな~と思いながら聞かせていただきました。ありがとうございました!
ありがとうございました!
白駒妃登美(しらこまひとみ)
福岡市在住。幼い頃より歴史や伝記の本を読み、登場人物を友だちのように感じながら育った。福沢諭吉に憧れ、慶應義塾大学に進学。卒業後、日本航空に勤務し、1992年には宮澤喜一首相訪欧特別便に乗務。その後、企業の接遇研修講師、結婚コンサルタントとして活動中に、大病を患う。命と向き合い、歴史上の偉人の生き方を改めて丁寧に紐解くなかで、かつての日本人が生きていた「今を受け入れ、この瞬間に最善を尽くし、天命に運ばれていく」という天命追求型の生き方にシフトする。生き方を変えたことで奇跡的に病状が快復。2012年、株式会社ことほぎを設立し、日本の歴史は「志」のリレーであり、報恩感謝の歴史であることを伝える講演活動を本格的に開始する。講演では「こんな歴史の先生に出会いたかった」「日本人に生まれてよかった」と涙する参加者が続出。全国各地での講演・メディア出演依頼は年間200回におよぶ。子育てと仕事に奮闘する二児の母でもある。
【主な著書】
“人生に悩んだら「日本史」に聞こう”~幸せの種は歴史の中にある~(祥伝社)
“感動する! 日本史”~日本人は逆境をどう生きたか~(KADOKAWA)
“こころに残る現代史”~日本人の知らない日本がある~(KADOKAWA)
“愛されたい!なら日本史に聞こう”~先人に学ぶ「賢者の選択」~(祥伝社)
“誰も知らない偉人伝”~勇気をくれる日本史~ (KADOKAWA)
“古事記が教えてくれる天命追求型の生き方”(エイチエス出版)
【メディア出演】
・NHKテレビ「おはよう九州・沖縄」
・ABC朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」 ※カシコブレーンとして最多出演中(8回)
・日本テレビ「NexT」
・RKB毎日放送「今日感テレビ」「豆ごはん」
・TVQ九州放送「BEYOND輝きWOMAN」
・テレビ西日本「百道浜DXストア」「九州だんじ」
・RKBラジオ「開店!ウメ子食堂」
・KBCラジオ「KBC長浜横丁」「朝からしゃべりずき」「アサ⑥サタデー」
・NHKラジオ「おはよう九州・沖縄」「ラジオ深夜便」「はっけんラジオ」
「にっぽん列島夕方ラジオ」