生かされている
2021/05/24
今日のどれだけ努力しようとも
その成果が今日手に入るわけではない。
建国以来農業国として今日まできた
この国では、今日どれほど努力をしても
それが実を結ぶのは今日ではなく、
数ヶ月後の収穫のときだということがわかっている。
狩猟採集社会であれば
今日必死で頑張れば、今日大きな獲物が取れる可能性があるから
違った価値観の国民性になっただろう。
また、
大きな獲物が取れたら
「経験と努力の蓄積をしてきた自分の手柄」
とも思えただろうが、農業はそういうわけにはいかない。
どれだけ経験と努力の日々を積み重ねようとも
たった一度の台風で
日照りで
雨続きで
害虫の大量発生で
すべてが無に帰すことを知っている。
努力がなければ何も手に入らないことは言うまでもないが
それ以上に、自分の力が及ばない天の恵みがなければ
どんな努力も水の泡となってしまう。
だから、大量の収穫を得ても努力をしてきた自分の手柄だとは思わず
「おかげさま」
「すべてのものに生かされている」
と謙虚に感じることができる。
何を成し遂げても、自分の成果ではない。
誰かのおかげだ。