Now loading...

拝啓、清水克衛さま

2025/06/24

僕は作家になる前から「読書のすすめ」という本屋さんも
清水さんのことも知っていました。

2004年
出版社さんからは「本を出しましょう」
とお返事をもらっていたにも関わらず
作家になるのかどうか躊躇していた時期がありました。

これから起こるであろういろんなことを想像して
出版に踏み切る勇気をかき集めていた時期に、

「東京に自分の薦めたい本だけを置いて売っている本屋さんがある」

という情報は一つの勇気を僕にくれました。
あれこれ考えるのをやめて、

「そんな本屋さんに置いてもらえることだけを目標にやってみよう」

と、出版によって起こるであろう
いいことも、悪いことも
想像するのをやめて、ある一点を見つめてそこに向かうことにしました。
それは、当時の僕にとって大事なことでした。

2005年、「賢者の書」でデビューしたあと、
当時「本のソムリエ」として活動されていた佐伯英雄(読書普及協会前理事長)さんが
偶然出会った「賢者の書」に衝撃を受け、読書普及協会の会員さんを中心に激推ししてくださいました。

そのご縁から、FMカワサキのラジオ番組にゲストとして出演することになり
そこで佐伯さんと初めて会いました。

「今、読書普及協会でものすごく「賢者の書」ブームが起こっているんです」

と佐伯さんは教えてくれました。
僕はそのとき初めて「読書普及協会」なるものの存在を知りました。
「それって何ですか?」
と尋ねると、
「江戸川区にある本屋さん『読書のすすめ』の店長、清水克衛さんが理事長をされていて、全国に読書を普及しようと活動している協会です」
と教えてくれました。

「僕、その本屋さん知ってます」

「そうなんですか!喜多川さんの本も置いてますよ」

佐伯さんからその言葉を聞いて、僕は出版前に見つめていた一点に到達できたことを知りました。

そこから実際にお店に行ってみるまでは
結構月日が開きました。

 

ようやく時間ができて初めて「読書のすすめ」に行った日。

店の中には常連のお客さんが4〜5人来ていて、みなさん仲良さそうに話をしていました。
その輪の中に清水さんもいらっしゃいました。

僕は人見知りで、そういう輪の中に入っていくのも苦手ですから、
店の入り口にある買い物カゴを手に、一人店内を歩きながら気になる本を
どんどんカゴに入れて行きました。
7〜8冊入ったところで、また別の本に手を伸ばしていると背後から

「お客さん、本の選び方が素敵ですね」
と声をかけられました。振り返ると声の主は清水さんでした。
「ああ、どうもありがとうございます」

「いや普通ね、「儲かる〜」とか「幸せになる〜」みたいな本ばかり探すんですよ。それも『どっちがいいかなぁ』なんて迷いながら。お客さんは選ぶ本がそうじゃないもん。それに気になる本はどんどんカゴに入れて、本屋としては見ているだけで嬉しくなっちゃって」

それから清水さんが紹介してくれた本を4〜5冊追加して全部で12冊ほどカゴに入れたまま会計に。

「だいたい買う本を見るとその人の職業ってわかるんですけどね、お客さん、ちょっとわからないなぁ。何されている方ですか?」

清水さんからそう聞かれて僕は一瞬迷いました。
素性を明かさず帰るつもりだったから。
でも、本を置いてくれていることのお礼も言いたかったし、正直に言うことにしました。

「いや、実は、あそこにあるあの本の著者なんです」

僕は自分の本が置いてある棚を指差しました。

「え?どれどれ?」
清水さんが棚の方に歩き、僕もそれに従いました。
「それです。『賢者の書』」
「え!喜多川泰さん!うわぁ、やっぱりちょっと普通の人じゃないと思ったんですよ。オーラが違うもん。ちょっと待ってよ。みんな、ほら、喜多川さんだよ」

それが清水さんとの初対面でした。

 

それから何度もお会いするようになりました。

会うたびに
「喜多川さんは、いい男だね」
と言ってくれました。

見た目の話じゃない。当時、読書普及協会は会員が1000人近くいて、清水さんがテレビに出演されていたこともあり、清水さんに紹介してもらった本は一気に売れました。

「もうさ、本出したって人が、次から次へと店に来てさ、『私本出したんです。お店に置いてくれませんか』って言って頭下げんだけどさ、うちの本一冊も買わないで帰っていくんだよ。喜多川さんだけだよ。置いてくれなんて一言も言わないで、来るたびたくさん買って帰る作家なんて。喜多川さんは本当に男前だよ」

 

それからこうも言ってくれました。

「喜多川さんみたいな人はもっと本を書かなきゃダメだよ。あなた天才なんだから」

お会いするときはほとんどが酔っ払っていたから
どこまで本心かわからないけど。ものすごくたくさんの本を読んできた清水さんに
そう言ってもらえることは、作家になりたての頃の僕にとっては大きな自信となりました。

 

2011年には僕の本をテレビで紹介してくれました。
それをきっかけに「また必ず会おうと誰もが言った」は10万部を超えるベストセラーとなり、映画化。
「帯に顔写真を」
と言われたのを、僕が嫌がったので代わりに清水さんが出てくれることに。
帯の清水さんの写真を見て
「この人が喜多川さんかと思ってました」
という勘違いもたくさん起こりました。

清水さんのおかげで僕の作品は多くの人に読まれるようになりました。

 

20年近いお付き合いの中で
新刊が出るたびに「読書のすすめ」でサイン会をやらせていただきました。
多いときで300冊を超えたサイン会はいつも長時間にわたり終電ギリギリまで続きました。
できるだけの恩返しをしたいと思っていた僕にとっては、たくさんの本が一気になくなっていくサイン会は嬉しい瞬間でしたが、清水さんはいつも終了後、僕が帰る時にタバコを吸うふりをして一緒に店の外まで来てくださり、

「喜多川さん、いつもありがとね。ごめんね」

と言ってくれました。

清水さんと話をすることが多い方は、
「店長に怒られた」
とよく口にしましたが、僕は一度も怒られたことなどありませんでした。
いつも「ありがとね。ごめんね」ばかり。

僕にとってはいつだって味方になってくださる誰よりも優しい方でした。

でも思えば清水さんが怒る相手は
本気で向き合っている人ばかりでした。
調子がいい時にはよってきて、調子が悪くなるといなくなる人や
清水さんのことを騙して消えてしまったような人に対して、決して
怒りをぶつけたりしませんでした。

「そんな野暮なことはしませんぜ」

と言いながらはにかむ清水さんの笑顔が浮かびます。

 

きっと僕しか知らない清水さんがいると思います。
「清水さんは本当はこうしたかったんでしょ」
写真に問いかけてみると。
いつものように、
「さすが喜多川さんですね。わかっちゃいました?」
と笑っているように見えました。

 

店の屋号にも現れている、清水さんの生き様。

その一つの命を「読書をすすめる」ことにすべてを捧げて旅立たれました。

 

今日、初めて出会った場所「読書のすすめ」に行き
僕なりの感謝を伝えてきました。

清水さんとのお別れに涙は似合いませんから
終始笑って送りました。

これからも清水さんの遺志を胸に生きようと思います。

「一冊の本との出会いで人生は変わる」

そのことを伝え続ける作家として。

 

 

さようなら。

またいつか。あちらで…