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守る側と守られる側

2018/06/16

航空自衛隊の春日基地で幹部・指導者向けの講話を
させていただきました。

一人の人間として
年齢を重ねていき
年頃になり
愛する人ができたとき
僕たちは愛する人を守るために何が必要かということを
初めて考えます。

考えた末に出てくる答えは
一人一人違うのでしょうが

そのとき始めて
自分のこれまでの自由は
そうやって親に守られているからこそ
得られる自由なんだということにハタと気付きます。

親に家族を守る強さがなければ
「自分の勉強だけに集中していればいい」
なんて環境すら得られない。

もちろん、家族を守るために
親がしていることのすべてを知ることは
子どもはできないし、知らないからこそのワガママも言う。

「親の心子知らず」
というのは

「守る側の苦労を、守ってもらっている側はわからない」
という意味も含まれているのだろう。

でも、もう少し時間が経って
自分が人の親になったときに
自分がワガママを言っていたということに本当の意味で気付く。

守る側と守られる側

前者の想いややっていることをを後者がすべて把握することは
できないけれども、思いを馳せることはできる。
きっとこの自由も誰かがどこかで何かを守ってくれているからこそ
得られるものだと。