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普通ではない

2019/11/03

「普通は」という線引きは
他の誰もでもなく自分がしていて
多くの場合、その「普通」の線引きがかなり高い位置にある
つまり
すべてのことが上手くいって初めて「普通」と考えているがゆえに
日々苦しんだり、イライラしたりしなければならない
ということが多いものです。

例えば
中学生が40人ほど集まる一つの教室で

誰も気になる言動をせず
お互いがぶつかり合うこともなく
誰も悲しい思いをせず
ハメを外すようなこともなく
言われた通りに動いてくれて
つまらなそうな顔をしている人もいない
気分が沈んだままで、落ち込んでいるような生徒もいなければ
反抗的な態度を取る生徒も
眠そうにしている生徒もいない
そんな一日ってある?

って改めて考えてみると
それは難しそう。だって性格も価値観も異なる中学生が40人もいるんですから。

でも、そんな一日を「普通」と考えて
そうなっていなければ、苦しんでいる人も多い。

僕たちの毎日はもっと色々、思い通りではないことが起こるのが「普通」だったりする。

その普通の毎日を楽しめるかどうか。

色々起こったときに、「ああ、自分の出番だ!」
と笑って言える覚悟があるのか。

「自分にとって普通の一日とは」

と改めて自問することで、日々イライラしないで済むかもしれませんよ。