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「先生は」「お母さんは」

2022/03/07

日本人的思考は「日本語」を使うことで身についていきます。
そして、本来の日本語によって身につく、日本人的思考というのは
思いやりに溢れた優しさが根本にあるものの考え方だと思うのです。

日本にやってきた外国の人が
しばらく日本で生活した後で、自国に戻ると
自分の思考が日本人的になっていることに驚くといいます。
それも、日本語の様々な表現を学んで使っているうちに
自然と身につく「価値観」がそうさせるのでしょう。

日本の教育機関では、自分に「先生」をつけることがよくある。
「先生は、それはいけないことだと思うなぁ」
とか
「先生は、とっても感動したんだ」
のように、「私」「僕」「俺」という言葉ではなく、自分を表す言葉で「先生」を使う。
そして、それを聞く側も、違和感なくそれを受け入れる。

おそらく英語では「 I 」の一択であろう一人称の表現が
日本語にはたくさんあるのも面白いのだが、それら多数の自分を表現する言葉を置いといて
「先生」がよく使われるのだ。

先生になったばかりの頃、自分に先生をつける表現は
「私は偉いんだぞ」
と言っているようで嫌だと絶対にその表現を使おうとしなかった人がいたので、
自分もそうしていた時期があったが、その後、あまりこだわらなくなった。

「先生は、それいいと思うな」

子供たちに向かって、これを言うとき、
別に偉らそうにしているわけではなく、相手目線で話をしているだけだからだ。

子供達の目から見ると、こちらは「先生」である。
話を聞く人目線に立って、自分の意見を言うのが日本語という言語では当たり前なのだ。

自分の立場から自分の思いを主張するのではなく
相手目線から考えてものを言おうとする。

考えてみれば我々が最初に触れる表現が、それだと気づく。
親だ。

「お母さんは、こう思うよ」
「ママは、嬉しいな」
「お父さんは、好きなことをしたらいいと思うよ」

相手目線で自分がどう見えるかを表した言葉を聞いて育つ。

これらをすべて、「私」「僕」に変えてしまったら
日本人らしい文化は失われていくのかもしれない。