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客人のありがたさ

2021/09/29

「誰かが家に来る」

とわかると
できる限り、行き過ぎないおもてなしをするようにしている。

主には掃除・片付け
それが終わったら、玄関周りや庭の除草や木の剪定など
時間をかけて「気持ちのいい状態」を作る。

そう「普段から綺麗にしている」と思われたいわけではなく
ただ「気持ちのいい状態」で滞在してもらいたいという思いからだ。

そこに住んでいる人目線で見たときには
あらゆるものが、そこにあることに違和感を感じなくなるのだが
初めてきた人目線で考えてみると
家の中には「どうしてそこに置きっぱなしなのか」違和感があるものがたくさんある。
それらを一つ一つ片付けていく。

やり始めるとキリがない。
次から次へとやりたいことも増えていくが
そこは時間制限というものがある。

訪れた人は、こちらの苦労が見えるわけではない。
玄関周りの雑草がなくなっていようが、庭の砂利の隙間から出ている植物がなくなっていようが
初めて来る場所である以上その変化に気付くわけではない。
だから、それは相当時間がかかる割には、それほどの感動を与えるわけではない。

その辺が「行き過ぎない」というところだろう。時間も労力もかけるが、相手にそこまでやったということを想像させない配慮というか、また気軽に来たいと思ってもらえるくらいの軽さがいいと思う。

帰り際に、客が受けたおもてなしへの礼として
わざわざ用意してくれた茶菓子と美味しいお茶に対する感謝を告げて去ったあと
気持ちのいい状態になった家を見て
来てくれた客人に心から感謝する。

その人のおかげで一番気持ちのいい思いができるのが
そこに住む自分であるから。

そのとき初めて
日頃から掃除・片付け、庭の手入れなどをするのは
自分に対するおもてなしなんだということに気づく。

もっとおもてなしをしようと思う。