頑張った
2021/11/04
ある、ボクシングの元世界チャンピオンが
ものすごく強い相手と試合をしたとき
ラウンドとラウンドの間のインターバルで
セコンドからの指示が具体的なアドバイスではなく
「頑張れ!」
になったとき
「ああ、もう打つ手がないんだ」
と思った。
と笑い話として話していた。
その通りだろう。
ずっとそばで見ていて、選手の強みや特徴を知り尽くした男が
試合を見て、何かしらの打開策を見出せていたら
もっと具体的な指示をするはずである。
中高生が思ったような結果が残せず、先生や親に
「このままじゃまずいぞ。どうする?」
と問いただされたとき
「頑張って勉強する」
とよく言うが、このときも具体的に何をどうやっていいかわかっていない場合がほとんどだ。
次のテストで飛躍的な成長を遂げる可能性は低い。
何をしたらいいかわかっている人は具体的にそれを答える。
それに、具体的に何をしたらいいかわかる人は八割がたわかっているけど
残りの二割をどうするかを考えるような人で、
二割程度しかわかっていない人は、そもそも、今の自分は何からどう手をつけていけばいいのかすら
わからなくなっているはずだ。
そういう時期に「頑張る」と言っても
自分の部屋に行ったら、どうしていいかわからず途方に暮れるだけである。
そんなときに大切なのは素直になって教えを乞うこと。
つまり、
「このままじゃまずいぞ。どうする?」
と問いただされたら
「何から始めたらいいか教えてください」
と言えることだ。
それを言えて、それに従う覚悟がある者は次に生まれ変わるような結果を残せる可能性はまだある。
相手の追及を逃れるために便利な「頑張る」という言葉だから
あまり使わないようにしたいと思うかもしれないが、この一言が人生のすべてを昇華してくれることもある。
それは誰かに
「もういい、よく頑張った!」
と過去形で言ってもらえたとき。
人知れずした努力や
流した悔し涙
それでも諦めずに歯を食いしばって立ち上がった記憶
他の人が休んでいるときにも気を張って
様々な誘いを断ってでも自分のルールに従って
チームや組織、国のために一人重荷に耐え続けている
それらすべてのことを並べ立てて、賞賛する言葉はないし
それを誰かに知ってもらいたいわけではないけれども
それでも、たった一言。
「本当に、よく頑張った」
そう言ってもらえるだけで
誰に知られなくても
一人だけにでも自分の人生の価値を
わかってもらえた気がして
それらすべてが報われる。
僕はこれまでみんなのために頑張ってきたあなたに言いたい。
「本当に、よく頑張った」