憧れる先輩
2021/06/11
一部の中高では僕たち昭和の世代が経験したような
先輩後輩の強烈な上下関係が、令和となった今でも残っているようだ。
「先輩だから無条件で従わなければならない」
という価値観。
生徒たち同士も「郷に入りては」それに従い、
指導者もそれを「伝統」や「社会勉強」と解してか、そのままになる。
いつまでも無くならないのは、儒教や朱子学といった下地、言葉を含めた文化の問題など
様々な理由があるのだろうが、この上下関係を経験することが
社会に出てからの人間関係で役立つと肯定的に捉えられている節もあることも一因のように思う。
確かに、社会に出たばかりの若者が
「これ誰に提出すればいいの?」
「今、手が空いてるから、やってあげてもいいよ」
と上司や先輩に話すようになるのは、日本の社会では避けたい。
そうなるくらいなら、旧来通りの先輩後輩の関係性から口の聞き方を学んでおいた方がいいか。
ということにはなる。
「マニュアル」は多くの店舗で採用されているが
それがあることによって、サービスの最低ラインを決めることができる。
「誰がやっても、これ以下はない」という線引きだ。
でもマニュアルを守っているからといっていいサービスではない。
マニュアルを超えたところにより良いサービスがある。
旧態然とした先輩後輩関係は同じような「最低ライン」のキープにはなるのかもしれないが
ベストではない。
完全に無くしてしまうことに抵抗を感じる気持ちもわかる。
実際、上下関係をなくした結果
先生が、
「〇〇さん、その次の行を読んでもらえますか?」
と丁寧な言葉で生徒を指名し、
「え?先生、何ページやってんの?」
と返事が返ってくるような光景を授業で散見する。
自分の教室でそれが起きたとき、
そのまま、その子を卒業させてしまうのなら、
どこかで、誰かが、その子に教えてあげなければならない何かを自分も放棄しているだけのように感じて僕はそのままにはできなかった。
「先輩後輩の上下関係をなくす=人間関係が無遠慮になる」
ではない。そうしなければいいだけで、上も下もなくお互いを尊敬・尊重しあえる方法がきっとある。
これまで出会ったたくさんの人たちの中で
この人は本当に一流だなぁと感じた人は、
相手の年齢や立場、役職によって態度を変えたりはしない人だった。
こちらの方が年下であれ、無名であれ、ものすごく丁寧に接してくれた。
一人の人間として尊重してくれているのがわかる。そういう人から多くを学ばせてもらった。
自分の年齢とともにそれがいかに難しく、器が大きくなければできないことかを思い知り、余計に尊敬の念が増す。
そういう人たちとの出会いから、自分が目指すべき「憧れの先輩」というものを学ぶことができた。
そう、謙虚で丁寧で、こちらのことを一人の人間として尊重してくれる彼らのような年長者になりたい。