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月と太陽

2021/10/13

今日は10月13日。
西暦2021年、10番目の「月」の13「日」目という意味。

この暦は僕が生まれた時からずっと
使われていて、違和感なく日常に浸透しているが
太陽暦では月の満ち欠けはまったく無視されているので
10番目の月と言われても、「月」は30日区切りの一つのまとまりを表す「ラベル」でしかなく
地球の周りを回っている「月」という意味ではなくなってしまっている。

時計やカレンダー、曜日というものが
我々の生活において欠かせないものになったのは
ほんのここ150年ほどの出来事。

それ以前は太古の昔から日本では
月を見て日を数えて、太陽を見て季節を感じていた。
だからきっと今の人よりももっと空を見上げて暮らしていただろう。

朔(ついたち)が月の始まり。
新しい月になるから「新月」。
そこから数えて三日目の月が「三日月」
15日目が満月で「十五夜」
月の形を見れば、その月の何番目の日かがたちどころにわかる。

時計もカレンダーもない時代は
もちろん電話もない。
遠くにいる人が、今どこで何をしているのか知る術もない。
そんな時に、月を見上げて
どこにいても今同じ月を見ているかもしれないと
想像することで、心の支えにもなっただろう。
誰もがカレンダー代わりに月を見ていたのだから月を見る頻度は今以上に遥かに多い。
同時に見ている可能性も今より格段に高かったに違いない。

ところが朔から次の朔までは約29.5日しかない。
今の暦と比べると、一年で約十日間、三年で30日もずれてしまう。

そこで、月を用いた暦だけでなく、太陽を用いた暦も同時に使う事になる。

一年で一番、昼の時間が短い『冬至』から次の『冬至』までを一年としてみると
一番昼の時間が長い『夏至』はちょうどその真ん中にあたり、
昼夜の長さが同じになり、太陽が真東から上り真西に沈む「春分」「秋分」は
それぞれ「冬至」と「夏至」の真ん中に当たることも
ずいぶん昔からわかっていた。

冬至・春分・夏至・秋分、そして冬至
のちょうど真ん中に当たる日が
立春・立夏・立秋・立冬
それぞれの季節が始まることを感じていた。

冬至・立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至

冬至から冬至までを8等分すると一つの区間が45日になる。
それを3等分してそれぞれの区間を15日にし、季節に応じた名前をつけたのが
「二十四節気」

例えば「立春」と「春分」の間には
雪が溶けて雨になる季節を意味する「雨水」
土に篭っていた動物たちが穴を作って外に出始める季節を意味する「啓蟄」がある。

その二十四節気に「節」「中(または気)」と交互に名をつけ
「中」のない「月」が生まれたとき「閏月」とし、その年は一年を13ヶ月とした。

月と太陽

二つの異なるものさしを同時に使っていたというのは
今の「カレンダー」という一つのものさしだけで生きる我々にとっては
ややこしそうだと感じたり、不便そうに感じたりするのかもしれないが
案外そうでもないだろう。

日常的に使っている場合は
ものさしが二つあっても上手に使いこなすことでよりわかりやすくなっている例は
いくらでもある。例えば、
「うちのリビングは32平方メートルある」と言われるよりも
「うちのリビングは20畳」と言われがほうが広さのイメージがしやすい。
二つのものさしを日常的に使っている日本の人だけがわかる感性だ。

月と太陽という、二つの自然のものさしを持って生きていたときに感じていた感性は
一つに統一されると失われてしまう。
でも「自然に生きる」というのは
この二つのものさしを五感で感じながら暮らしていくことだろう。
その感性を少しでも取り戻したい。
それが2022年喜多川泰カレンダーのコンセプト。

目にするだけで、心が前向きになれる言葉だけでなく
月と太陽、二つのものさしを感じられるよう、二十四節気の表記と
月の満ち欠け図、そして旧暦の表記も加えました。

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